もり塾

3期実践コース開講! 矢印

ハウスワイフはライター志望(7)—— なんとか、するのよ! このチャンス!

もり塾塾長森恵子がライター目指して子供を抱えて再就職!

専業主婦から出版界で活躍するライター、編集者へ! 森恵子の再就職奮闘記「ハウスワイフはライター志望」第7回。
ある日、わいふ編集部からかかってきた一本の電話。それは辞書の編纂に関するアルバイトの誘いでした。仲間の応援を背に受けて、恵子は一歩ずつ夢への階段を登っていきます。

目次

チャンスがやってきた!

毎日の育児と家事に、木曜日の午前中は「いっつ みぃ」。秋から毎週土曜の午後に「婦人問題講座」。夜は行政書士の試験勉強、公民館保育室の要望書づくり、投稿原稿書き。

ああ、忙しい! ああ、楽しい!

10月末の日曜日、行政書士の試験を受けに行った。

「がんばって、な」

その日も夫が子どもの面倒を見た。
「婦人問題講座」に通うときと同じように。

それからまもなくわいふ編集部から電話があった。
辞書づくりのアルバイトをしないか、ということだった。

「打ち合わせ以外は、家でできますから」
「ハイ!」

電話をおいた。

1歳にならない娘をどうするの? 
秋から幼稚圏に通い始めた息子をどうするの? 
なんとか、するのよ! このチャンス!

息子は幼稚園の友だちのお母さんに、事情を話してお願いした。娘を預かってあげると言ったのは、春、新聞の切り抜きを持ってきて私にハッパをかけた「いっつ みぃ」の友人だった。

しっかりPRしてくるのよ!

編集部に出向く日の午前中は、活動日だった。
私は朝からうわずっていた。
保育室に娘を出迎え、友人にオムツと着替えと娘を預けた。
「できるだけ早く帰ってくるわ」
そう言った私に友人の言葉。
「遅くなってもいいからネッ。しっかりPRして来るのよ。あなたの第一歩なんだから」

ありがと。一生忘れない。その言葉。

「私の第一歩」をかみしめながら、電車に乗る。
市ヶ谷という場所に行く。
市ヶ谷のお屋敷街にある編集部は、白い二階建ての民家だった。
辞書のアルバイトのために集まった人は、みんなで5人。打ち合わせが済んだ私たちに、副編集長が言った。

「あなたたち、したい仕事があったらこの場で言っといてください。編集部にはいろんな仕事が来ますから」

「ハーイ!」
と手をあげて、私。
「何でもいいから、書きたいでぇす!」
ほかの4人は、いささかあきれたように、感心したように、私を見つめていた。

だって今日が私の第一歩なんだもん。
私、行動力のあるオンナになろうと思うんだもん。
「しっかりPRしといで」って、赤ン坊を預かってくれた友だちがいるんだもん。

母でもなく、妻でもなく

子どもたちを寝かしつけた後、ダイニングテーブルの上を漢字カードでいっばいにして辞書のアルバイトに精をだした。
「明日があるんだから、あまり遅くならないようにね」
夫はそう言って、先にやすむ。そんな日が何日も続いた。

私はその言葉に生返事しながら「あまり遅く」どころか「うんと遅く」まで仕事を続けた。

それ以来、夫のこの言葉を私は何十回、何百回聞いたことだろう。言っても効果のないこの言葉を彼は必ず言い、私は「うん」と生返事して、仕事に向かう。

私だけの夜。子どもと夫が寝たあと、私は母親でもなく妻でもなく私自身に戻る。

辞書のアルバイトは、私自身に戻れる初めての仕事だった。

雪の日に

娘をスナグリ(カンガルーのような前抱き用の袋)に入れて、し終えたその仕事を小さな出版社に持って行った日、雪が積もっていた。

遠くから、小さな子どもを抱いて仕事を持ってきた私を見た出版社の女性編集者たちは、とても感激してくれた。
そして、この後の分は私の家の近くに住む女性編集者のところへ届ければよい、と言ってくれた。

打ち合わせで少し椅子に腰かけたものの、娘を抱いて雪道を歩いた私は、帰りに出版社近くの喫茶店に立ち寄った。

こんな日に赤ン坊を抱いて店による若い母親を不思議に思ったのか、喫茶店の経営者らしい女性が、今日はどんな用事なのかと聞いた。

近くの出版社に仕事を持っていった帰りだと言うと「ママは大変ね」と娘に話しかけ、
「コーヒーを飲むあいだ、ちょっとおばちゃんが抱いていましょう」そう言って娘を抱きとった。

10キロちかい娘が私の胸から離れると、身が軽くなった。肩はもうすっかり凝ってしまっていた。

だけど、うれしかった。子どもを生んで初めて、こうやって仕事ができたこと。出版社の女性たちも喫茶店の奥さんも、小さい子どもがいるのに頑張るわね、とねぎらってくれたこと。

その日の夜から、私はまた仕事に精を出し、辞書のアルバイトを無事終えた。

才能は磨かなきゃ、ね

「いっつみぃ」の自主講座のほか、土曜の午後も公民館に通った。
「婦人問題講座」は魅力的な講座だった。私にこの講座を勧めたのは「若い母親のための教室」担当だった職員の女性。

あの講座での強引なやり方に反感を持つ一方で、彼女の「女の問題」に対する視点の確かさや、仕事と生き方を一致させようとする彼女の意志が私にはうらやましかった。

受講者は20代から70代まで。その中の一人を彼女に紹介された。私が受講した「若い母親のための教室」の一期後の受講生だった。

彼女と私は、あの主催講座の進め方に対する疑問という点で意気投合した。親しくなった後、彼女はこんな私の第一印象を言うのだ。

「あなた、金縁メガネをかけて、メガネのつるなんか押し上げながら過激にものを言うの、『私、言いますわよ』ってカンジで、PTAなんかのこわい人みたいだった。友だちになれそうもないって思ったわ」

「いっつ みぃ」の友人も、こう言ってよく私をからかった。

「あの講座の自己紹介のとき、もと教師って聞いて、なるほどと思ったよね。金縁メガネでプライド高そう。今にも教育ママになりそうな感じだったんだから」

メガネをかけているのは、コンタクトが面倒だから。金縁メガネは独身時代の名残。メガネのつるを押し上げるのは、私の鼻が低いせい!

緊張してモノを言うと、どちらかといえばキツネ顔の私は、きつく見えるのっ!

そう笑って言うことにしていたが、そのころの私は自負とあきらめがまだらになった頑な表情をしていたのではないかと思う。

「ほんとに、アンタ、いい女になったわよぉ」

「いっつ みぃ」の友人は今、私をそうほめてくれるけれど、それがうまくなったお化粧やメガネのフレームの変化に対するほめ言葉でなければうれしいと思う。

さて、この講座で新顔だった私は、過激な(?)発言をしながら心細かった。「いっつ みぃ」のメンバーもいない。知った顔は公民館職員の彼女だけ。

彼女は講座の後のティータイムに言う。
「あなた、ライターになりたいんですって」

「いっつ みぃ」の顧問のような存在だった彼女に、きっと誰かがそんなことを言ったのだ。

「ええ……。でも、私、才能がないから……」

「あらぁ、才能は磨かなきゃ、ね」

当たり前のことを言う口調で彼女は言った。
「才能は磨かなきゃ」と。

でも、才能と能力は違う。能力は磨けるけれど、才能は天賦のもの。その才能が私には欠けていると言ってるのに。

いつか「ライターは特別な職業じゃない」と気づいたはずなのに、まだ「特殊な才能のいる仕事だ」と思いこんでいるらしい。

それほどライターにかける私の夢は一途だった。
大作家を目指しているわけじゃないんだから、ホラ、リラックス、リラックス。

次回は、恵子、ついにライターデビューか!? 
Vol.8「あなたに頼みたい仕事があるんです」は、2022年11月中旬公開予定です。
これまでの話はこちらのサイトで読めます↓↓

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!