専業主婦から出版界で活躍するライター、編集者へ! 森恵子の再就職奮闘記「ハウスワイフはライター志望」第9回。
いよいよ本格的にライターとして働き始めることに。でも、当時は幼い子供を抱えた母親が働くことに対して、厳しい視線を向ける人も少なくなかったのです。葛藤を抱えながら挑んだ初取材は……。
遠くの姑
結婚以来、週に一度、私は夫の実家に電話をしていた。
「やさしく思いやりあれかし」と私を育てた実家の母の遺言——もとい、母から嫁ぐ娘への教えだった。
結婚後5年たってもその教えを守っていた私は、なんて律儀で自主性のない娘だったろう。
1986年4月1日。その電話で、夫や子どもの近況報告を終えた。私の胸のうちは「とうとう開けた! ライターの道」でいっぱいだった。
私の声は弾みすぎていたのかもしれない。
姑はこんなことを言い始めた。
「私もあなたも、主人の収入だけで生活しているんですからねぇ。主人の健康にも気を配って、それに気持ちよく仕事ができるように心がけなきゃ、ねぇ」
私を「主人の収入だけ」に縛りつけておきたいのは誰?
ほかならぬお義母さま。
そのうえ「ご主人さまが気持ちよく仕事ができるように」と諭してくださる。
言わせてもらえば、あなたの息子の給料袋がそれほど分厚いわけでもないのですよ。3千円のセーターや4千円のジーンズで、私は暮らしている。
1万円のセーターが欲しいときは、生活費をくすねず、夫に許可も得ず、自分で稼いじゃいけませんかしら。
子どもに世話をかけない私自身の老後のためのお金を夫まかせにせず、自分で稼いじゃいけませんかしら。
わかっております。
——そのためにかわいい孫をかわいそうな目にあわせるなんて、本末転倒も甚だしい。
お義母さまはいつか、友人たちの再就職を話題にした私に、仁王立ちでそうおっしゃった。
「保育園」イコールかわいそうな子どもの居場所という人は、「老人ホーム」イコールかわいそうな老人の居場所と思ってるってことかしら。
私は保育園に子どもを預けて働きたいし、老後を子どもたちの世話になるのは、まっぴらごめん。
私たち「いっつ みぃ」のアコガレは、梅干し顔の私たちが老人ホームのサンルームに座り、日がな一日、思い出話に笑ったり泣いたりすること。「シルバーパワーでなんかやろうよ」なんて話ができれば最高。
それをあなたに強要することはできないし、私はあなたの老後を看る覚悟で夫と結婚した。だけど、そんな私にさらに覚悟を迫る。
生んでも育ててもいない女を縛るために「まず子どものことを考えなさい」と諭す。
「主人が気持ちよく生活できるように心がけなさい」と論す。
「働く必要が、どこにあるですか」と叱る。
そうやって自分のことよりまず誰かのことを考える嫁に育てておけば、あなたが老いたとき、あなたに仕える嫁ができる、というわけでしょうか。
それが「嫁の務め」であると信じて疑わないのが「姑」なのでしょうか。
こんなに物言う心を持ちながら、姑の「正しい婦道」の前で、私は「ハア、ハァ」とフヌケのような返事をする。
あこがれの保育園が姑の婦道の鼻息の前で、塵のように吹きとんでいく。
一波乱を起こす勇気と決意が私には、なかった。
幸運の女神さまが運んでくれたライターの道が、月に2、3度の仕事でよかったなんて、私は意気地なしだ。
ほんとに、どうして姑は「私こそ正しい」と微塵も揺らがないでいられるんだろう。
姑には息子という実績があるから?
そういう実績を作れば「あなたの老後もプライドも安泰よ」と私を叱咤激励する。
私の老後や私の生きがいくらい、自分で考えさせてください。お義母さま!
そんな当たり前のことが言えない私。
私は臆病者だ。
もう、覚悟、決めなきゃ
採用通知が来て、わいふ編集部にお礼の電話をしたときもそうだった。
「そう。それはよかった。頑張ってください」。そう言って副編集長は電話を切ろうとした。
すがりつくように、私が言う。
「あのぅ、最初の1回だけでいいんです。一緒に取材に行っていただけませんでしょうか」
「それはダメね。ふたりで行ったりしたら、あなたの信用にかかわる。ひとりで大丈夫」
受話器を置く。私は後悔する。
やっぱり—— 。
こんなこと、言うべきじゃなかったんだ。
もう、覚悟、決めなきゃ。
アポイントを取ろう。
近くの友人
1回めは、新宿のデパート四店の呉服販売をマーケット・リサーチする。
なんとか1日で取材を終えたい。
取材日は夫のいる土曜か日曜がいい。
4店にアポを取る。
ムコウにはムコウの都合がある。
4店の取材日は3日にわたり、おまけに2日間は平日になった。
夫が子どもたちと遊べる休日に仕事をしようという私の予定は、最初からうまくいかなかった。
どうしよう。これからだって、都合よくいくことのほうがきっと少ないのだ。4歳と1歳5ヵ月の子どもたちをどうしよう。
あの子たちをやさしさと愛情をもって預かってくれる人がほしい。こんな不定期な仕事で、どんな方法があるだろう。
ゴメン!
「いっつ みぃ」の友人たちの顔が浮かんだ。
ゴメンネ!
こんなときばっかりアテにして。
でも彼女たちはみんなフルタイムやパートで慟いていた。
私とほとんど同時に3番めの子どもを生んだ友人だけが、週3日勤務。休みの日は、その子を保育園に通わせずにいたから、まず彼女に聞いてみようと思った。
「いいわよ」と言ってくれた。
「お願いだから」と私が言った。
「お願いだから、少しの時給でも受け取って、ネッ」
うれしかった。彼女だって疲れているのに、ほんとに私は勝手なヤツだと思う。だけど、やっばり、うれしかった。
幼稚園に通う息子は、お友だちの誰かれの家で遊ばせてもらうことになった。
事情を話せる人に話した。
ほかの日はできるだけ、うちに遊びに来てください、と私は言った。
「シン君、いつでも遊びに来させて。待ってるわ」
「そんなに特別、気なんか使わないで。いつもの行き来と変わらないんだから」彼女たちはそう言ってくれた。
振り返ると胃が痛む。私の身勝手に。
これっきりの紺のワンピースで
そのころ私が「元おしゃれ」だったなんて、団地の友人たちに言ってみる勇気はなかった。
夫は「妻の美しい身なり」に全く関心がない人だし、私も「美しい身なり」なんぞにかかずらわっているヒマはなかった。
髪ふり乱して子育て、髪ふり乱して試験勉強、髪ふり乱してもやりたいことは、ほかにもいっぱいあった。
奥さま風外出着はおしゃれな姑がよくプレゼントしてくれた。
だけどデパートに取材に出かけるのに、買物ついでに見えそうな奥さんのアルバイト風では相手に対して失礼というもの。
中身が整っていないポッと出だから、せめて外見だけでもそれらしく、とかなんとか。
「元おしゃれ」は外見にこだわり始める。
でも私の洋服の中でたった一枚仕事着らしく見えるのは、あの紺のワンピースきりだった。
仕事を始める前に、仕事着を夫のお金で買う気にはなれない。紺のワンピースを取り出す。
こうやって仕事を始めた私の仕事着と普段着の有様があんまり違うので、彼女たちのひとりが、その後私のことを「別人28号」と名づけたっけ。
朝10時、これっきりの紺のワソピースで新宿行きの電車に乗り込む。
お天気のいい朝、私は子どもを連れずにこうして電車に乗っている。取材に行くために乗っている。
電車の中に差し込む光がまぶしかった。
あんた、シロウトだね
目ざすデパートにはいる。
私、仕事に来たの!
今日は子ども服もおもちゃ売場も関係ないの!
呉服売場に着く。
急ごしらえの名刺を差し出す。
洋服は買わなくとも、名刺は作った。
これが正しい「再就職」の手順、だよね。
ムフッ、私、澄まして名刺なんか出してる。
キャリアウーマンに見えるかしら?
私の名刺には「フリーライター 森恵子」。
記念すべき一瞬。
50過ぎの呉服部長氏が名剌を差し出す。
受け取る手は震えてないわ。大丈夫。
そういえば、私、舞台度胸あったんだ。
ウソみたい。
世の中からとり残されて何もできないオンナだって、自分のことをおとしめてたのが。
そう、それでいいのよ。
あなた、ちゃんとやってる。
けっこう堂々のライターに見えるわよ。
聞かなきゃならないことはメモしてあったわよね。
デパートの総売場面積、呉服売場面積、昨年度総売上、外販対店頭販売比、売場人員、仕入先、売上順アイテム、催事、商圏、今後の抱負——。
ホッ。
無事済んだ。
肩の力を抜いた拍子に予定外の質問をしてしまった。
「呉服の在庫は何反くらいあるのでしょうか」。ぶっきらぼうに答えていた部長はジロリと私を見る。
ヘマをやったらしい。
デパートでは、呉服は買い取りではないのかもしれない。
マーケット・リサーチとしては不必要な事項だったのかもしれない。
でも、もう遅い。
部長が言う。
「あんた、シロウトだね」
「あの、この関係の取材は初めてなものですから」。とっさの嘘にしては上出来だったと思う。
けれど、うろたえる。
そして開きなおる。
そうよ、この関係もあの関係も、私はまるでシロウト。
まっ白のシロウトなんです!
と言ってみても、部長氏がどう出るか、やっぱり不安——。彼はぶっきらぼうな態度をやめた。
急にやさしくなった。
誰だって、最初はシロウトさ。
彼の態度は私にそう言ってるみたいだった。
「呉服売場を案内しようか」。そう言った。
あの訪問着、この袋帯、あの紬、この染め帯。
彼はお気に入りのおもちゃを友だちに自慢する子どものように、それらの前でウンチクを傾ける。私はうっとりのため息をつく。
「いい色合いですねぇ」
彼はそのたびに満足気な笑顔を見せる。
ますます饒舌になる。
私たちはシンからの「きもの好き」同士らしい。
「また、遊びにいらっしゃい」
最後に彼はそう言った。
午後にもう1店。
取材相手の呉服課長は私より若い男性。
出世の階段のひとつとして呉服売場も見ておけ、と言われてとまどっている人のように見える。きものと距離がある。
私は可もなく不可もなく取材を終えた。
日を改めて3店め。
相手は40代の呉服部長。
爪の垢まで出世欲と中年の色に染まっているように見えた。
彼にとって、きものは売上高という数字に置き換えられて、目の前にちらつく集合体だ。
仕事と本人との距離にもいろんなパターンがあるんだな、なんて思ったりする。
最後は地域一番店。
ここでは広報課長が業界誌の取材に時間をさいた。
企業の宣伝の中では、最も効果のあがらない業界誌の取材。そんな取材を早く切り上げたいと広報課長は態度で私に示した。
手際の悪い取材を私に自覚させたがっていたが、私はそしらぬ顔で取材を続けた。
再就職の新米ライターは、3、4日かけて4店の取材を6ページの記事にまとめた。夫の一眼レフで写した呉服売場の写真も数枚。
これが月刊誌1回分になる。
次回は、ライターとして力をつけたいと思えば思うほど、母親としての役割が重くのしかかる。
Vol.10「もっと仕事をしたいけど……」は、2023年1月中旬公開予定です。
これまでの話はこちらのサイトで読めます↓↓