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ハウスワイフはライター志望(5)——再就職交渉と二人めと……そして「いっつ  みぃ」

専業主婦からライター、編集者へ!もり塾塾長の再就職奮闘記(5)

専業主婦から出版界で活躍するライター、編集者へ! 森恵子の再就職奮闘記「ハウスワイフはライター志望」第5回。
働きたいけど働けない。その原因はどこにあるのか。夫との再就職交渉の中で、公民館の仲間たちと話す中で、だんだんと恵子の「本当の望み」がクリアになっていきます。

目次

二人めが欲しい!?

1984年2月、講座が終わり、シンが2歳になった。
私たちは前年11月、社宅を出て同じ市内の団地に住み始めた。
片づけと掃除に、私は社宅時代よりさらに神経をとがらせた。
団地内の公園にシンを連れ出し、怪我がないように、楽しく過ごせるように心を配った。
掃除が好きではないとか、子育てがうまくないとか、そんな言い訳はきかない。
私は専業主婦。
専業主婦でいる以上、夫の稼ぎで食べ、夫名義の家に住む以上、私がしなければならないのは、そういうことだ。

しかし、それだけではなかった。
「二人めが欲しい」と夫が言い始めた。
夫は一人っ子。

「兄弟が欲しかったよ、ぼくは」
夫はそう言う。
「私はねぇ、九つ違いで弟が生まれたとき、一人っ子のままがよかったって、ずいぶん思ったわ」
「それは年が離れすぎてたからだよ。だけど、君たちすごく仲がいいじゃないか。それ、うらやましいよ」
「わかった! いいこと、思いついた。今度はあなたが生めばいい。それなら協力してあげる」
「どうやって生むんだよ」
「帝王切開するのよ。お腹をメスでサーッと切って。今、ずいぶん多いのよ」

「ぼくは、妊娠できない!」
「もし、あなたが妊娠できたら生む? つわりでゲェゲェやって、8カ月くらいからお腹が重くて眠れず、十何時間もヒィヒィ苦しんで、夜中に何度も起きて、おしめをかえて、お乳飲ませて、それを2回やる?」
「やると思う。子どもは3人はいらないけど、2人は欲しいから」
「あら、そう。お見合いのとき、私、ちゃんと言ったわよ。『子どもを好きですか』ってあなたが聞いたとき、『いいえ、好きじゃありません』って。『あなたは?』って聞き返したら『ぼくも、あまり好きじゃないですねぇ』って。ちゃんと覚えてるんだから」

「それは一般論だよ。自分の子どもは別」
「そうかしらねぇ。とても子どもが大好きな父親には見えないけど」
「そんなこと、ないよ。休みの日は相手してるじゃないか」
「父親の義務として、ね」
「それでいいじゃないか」

話がどんどんずれていく。

私はライターになりたい!

夫が「二人めが欲しい」と言い始めたころ、私は「ライターとして仕事をしたい」と夫に言った。

初めて夫に「ライターになりたい」と言ったとき、夫は意外な顔をしなかった。
「でも、どうやったらなれるかわからないのよ。出版社に勤めている人なんか一人も知らないんだもの」
妻がすぐに働けない職種を選んだことに、夫はほっと安心したようだ。
「すぐにというわけじゃないんだろ。だったらシンに兄弟をつくってやってからでも遅くないと思うな」
「遅くないなんて勝手に言わないでほしいわ。
あなたもおばあちゃんと同じことを言うのね。小さい子どもをおいて仕事なんかしなくても、3年か5年の辛抱なのにって。
3年か5年が待つ身にどれだけ長いか、あなたは好きな仕事をしているから、それがわからないのよ。二人めを生んだら、私の再就職はまた、ずっと先に延びるし、そうやっているうちに、再就職は見果てぬ夢になってしまう」

「実現させるかどうかは、君の意思の問題だ」
そうですか。
今の言葉、確かに聞きましたからね!

ある日、私が言う。
「こういう生活って、蛇の生殺しみたい」と。

夫は、ぎょっとした顔をする。
親子が暮らせるだけの年収。
新しい家。
それにぼくだってやさしい夫のつもりだ。

わかってる、そんなこと。
わかってるってば。

再就職は契約違反?

「見合い結婚って、契約結婚の色が濃いと思うの。いろんな条件が合ったから、私たち結婚したのよね。それではっきりと言ったわけじゃないけど、条件のひとつは私が専業主婦でいることだったでしょ。でも専業主婦ではいられない。いられないのよ、私。こんなに幸せそうな生活してても『蛇の生殺し』だなんて、思ってしまうのよ。でも、もう一度仕事をしたいって私が言うのは契約違反かもしれない、とも思うのよ。あなたはどう思う?」

もし夫が「契約違反」だと言えば、私たちの夫婦関係はこれから先、変わっていってしまうだろうと思っていた。
変わってもしかたがない。
夫の考えを聞きたい。

「考えが変わることは誰にでもあることだし、それを契約違反だなんて、ぼくは思わないよ。やりたい仕事があれば、やればいい。人間はやりたいことをやって生きるのが一番幸せなんだから」

夫は妻の意向伺いの裏にある決心を察したのかもしれなかった。

これには後日談もある。何年か後、夫が言ったことだ。
「君が専業主婦でいられるなんて、思ってなかったよ。見合いのあと、おやじも言ってた。『あの子は専業主婦ではおさまらないかもしれない。それでよければ、結婚しろ』って」

そんなことを黙っているなんて、夫は私以上にずるい。そういう話が舅と夫の間にあったともしらず、「妻の再就職賛成」と「二人めを妊娠させることの許可」は、「抱き合わせ法案」のように成立した。

しかし、シンとこれから生まれてくるかもしれない子どもを保育園に通わせる決心が私にはついていなかった。

グループ「いっつ    みぃ」誕生す

公民館の主催講座が2月に終わり、5月から12名で自主グループ活動を始めた。
グループ名は「いっつ みぃ」 It’s me.
それは私です!—— なんてカッコイイ名前なんだろう。

カンカンガクガクの議論の末つけられたこのグループ名を、今も私はとても愛してる。もちろん、その仲間たちを。そして、このグループを生んだ公民館のことを。

自主グループは、再就職の自主講座みたいだった。主催講座のころ、猛烈な勢いで友だちづくりを始めたこのグループは、自主グループになると、多くの人が猛烈な勢いで再就職活動を始めた。
集団の力学というのは、やはり本当にあるらしい。

私は大きくなるお腹を抱えて、彼女たちを眺めた。大きなお腹をした人は、もうひとり。
「私たち、いつになったら、仕事ができるのかしら」
彼女は、けろりと言う。
「私は10月に出産だから、まぁ、来年度くらいかしらね」
「私は、とても無理ね。ライターになりたいって言ってるけど、出版社に知り合いがいるわけでもないし。それに義母が許してくれそうもないから」

「ね、どうして再就職にお姑さんの許可がいるの。一緒に住んでるわけじゃないんだから、いちいち言わなくてもいいんじゃない」

私は、ぶつぶつ言い訳をする。
許可というより理解してもらいたいのだとか、今のままでは保育園にシンを預けたりしたら、義母はカンカンになるだろうとか、日本国憲法で家制度がなくなっても、私の結婚生活にはそれがあるとか。

私の言い訳を聞いていた誰かが言う。
「ちょっといいお嫁さん、しすぎだと思うな」
「わかってるけど……」
私の歯切れはこの上なく悪い。

なぜひとりの大人が働くために、配偶者の母親の了解がいるのか。
友人たちの言葉は今では至極もっともだと思えるのだが、そのときは(仕方がないのよ。どうにもならないのよ)と自己弁明を繰り返すだけだった。

古い結婚形態を選んだ自分の選択の過ちに気づきながら、一方では人柄だけではなくその学歴ゆえに夫を誇りに思っている、そんな男の妻となった自分に満足しているところが私にあった。

母親ばなれのできなかった私は、結婚すると夫ばなれができなかった。
「働く」だの「女の自立」だのと勇ましく言ってみても、お釈迦様の掌の上の鉢巻きばかり勇ましい孫悟空のようだった。

そして夫が最も望まないことは妻である私が働くことではなかった。
彼の母と私が決定的な亀裂に至らず暮らすことだった。
そして彼の母は、子育てに専念するはずの嫁として私を迎えた。
それ以外の人生を「嫁」に許さない——そんな状況の下でした夫の再就職理解は、私が子どものこと、姑のことで行きつ戻りつして「すぐには働けない女」であることを見定めた上でのことだったような気がする。

私みたいな女には育てない

ひとりめの子どもは東京で出産したが、ふたりめは実家に帰って生むことにした。シンが低体重児で生まれたことを「私のせい」だと思う一方で、「慣れない東京での暮らしのせい」にした。
だから今度は実家で―。誰にも反対はさせない。夫とともに生むラマーズ法にひかれながら、私は実家での出産を選んだ。

11月、女の子が生まれた。産院で初めてその子を抱いたとき「私みたいな女には、育てない」と思った。自分の意思を誰にでもきちんと伝えられて、フィフティフィフティの結婚をして、結婚後も仕事をして。私の果たせなかった夢をせめて娘に伝えたいと思った。

実家での時間はゆったりと流れる。娘はよく眠り、お乳をよく飲み、まるまると太っていた。
私があれほど望んだ再就職は、はるかかなたで、今はかすかにまたたいている。

ふりだしに戻っても、また、いつか

ある日、「いっつ みぃ」の仲間から手紙が届いた。再就職をした人がふたり。10月に女児を出産した友人は、そろそろ再就職の準備を始めたという。私は双六のふりだしに戻った気分だというのに。

12月、東京に戻ることになった。行動的な仲間の中で、私だけがなぜ、とまた思い続けなければならない。だけどそんな彼女たちの間でなら、私もまたいつかと思えるかもしれない

東京に戻ると「いっつみぃ」にすぐ復帰した。
生後まもない赤ン坊を抱いて活動に参加する私たちのために、仲間は公民館の和室を確保してくれた。畳の上には麦わらで編んだベビー・キャリアがふたつ並び、その中で女の赤ちゃんがふたり、すやすや眠っていた。
赤ン坊が泣き始めると、母親が手をだすより早く誰かがおむつを換えた。

(次回に続く)

次回Vol.6は「資格試験と投稿誌と」(2022年9月中旬公開予定)
これまでの話はこちらのサイトで読めます↓↓

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