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ブックライター講座十一月開始! 矢印

ハウスワイフはライター志望(3)——仕事がしたい!

専業主婦から出版界で活躍するライター、編集者へ! 森恵子の奮闘記「ハウスワイフはライター志望」(社会思想社 1992年)を一部編集して連載します。
今回は第3回。
公民館の講座仲間と話をするうちに、自分が本当はどう生きたいのかが見えてくる —— 恵子は思いきって夫にその気持ちをぶつけてみますが……。

目次

「働きたい」という悲鳴

3回目の講座を終えると、受講生のひとりが私のそばに来て言った。
「明日、一緒に公園へ行きませんか」
それが私たちの最初だった。

次の日から、受講生は猛スピードで友だちづくりを始めていた。
私たちは夢中になった。
あの公園、この公園へ出かけた。
あの人の家、この人の家へ行き来した。

子どもたちを保育室以外でも遊ばせましょうよ。
講座の記録づくりの打ち合わせが必要ね。
ケーキ作りの講習会を開くから来てね。
保育室クリスマスパーティーの準備もしなくちゃ。

子どもたちはケンカをしながら、よく遊んだ。
私たち母親はよくしゃべった。

子どもの育てかた、最近読んだ本、私たちの結婚生活について。
社宅では望んで得られなかった友人関係がこうして急ピッチでできあがる。

講座では「慟きたいのに働けない」そんな声がいくつか上がる。
講座の中で、外で、私たちの話題はしだいに「働く」ことにしぼられていく。

「再就職講座ではなかったはず」
「私は主婦を立派な職業だと思っています」
そうきっぱり言い切る人もいた。
それでも全体の流れは「仕事」に向かった。

働きたいけれど、働けない。
小さな子どもがいるから。
体力がないから。
能力に自信がないから。
夫や周囲が反対するだろうから。

働けない理由をひとつひとつあげる。
働けないと繰り返しながら、
私たちは「働きたい」という悲鳴を、
次第に高く強くあげていた。

惚れた弱みにつけ入れられて

半年間の講座が半ばを過ぎたころ、私は夫に言う。
「私ね、やっぱり何かしたいのよ」
「何かって?」
「家事や子育て以外の何か」
「このごろ、公民館に通って楽しそうにしてるじゃないか」
「そういうことじゃなくて、私、仕事をしたいのよ」

「子どもの手が離れたら、それもいいかもしれないね。ぼくが定年になったら一緒にできる仕事を、今から探しておいてくれるとうれしいな」

「共白髪まで」と改めて夫から愛の告白を受けたようにうれしかった。

30年も待てっていうの?
そのあいだ、
子育てをして、
あなたの両親を看取って、
私にしなきゃいけないことはいっぱいあるっていうわけ?

…… そう思わなかった。

夫と私が一緒に仕事をするっていうのは、なかなかいい。
その夜遅くまで私たちは、定年後ふたりでできる仕事をあれこれ話しあった。
惚れた弱みにつけ入られて、1度目はあっけなく終わった。

お人好しの私。

10年計画!?

またある夜、私が言う。
「私、30年も待てない」
「じゃあ、どんな仕事をするつもり?また教師をするつもりはないんだろう」
私はうなずく。

わけのわからない細かな規則が増えるたびに、それをもっともらしく生徒に説明するなんてことを、もう一度したいとは思わない。
ボーナスを手に「オレの用心棒代はこれだけか」と聞こえよがしにいう教師。その声が聞こえないふりをするのはもうイヤだ。
二度と聞きたくもない。
教師はもうこりごり。

「まだ、決めてはいないけど、とにかく生きがいになるような仕事をしたいのよ。私がシンやあなただけを生きがいにしたくないってこと、あなたはもう知っているでしょう」
講座に通い始めてから、私は繰り返し、繰り返し、そのことだけは言ってきたのだ。
夫はわかっているとうなずく。
「それなら、じっくり探せばいい。10年計画くらいで」

30年が10年に縮まった。

私はあなたと一緒に生きたいって言ってるのよ

しばらくしてある夜、また私が言う。
「私が仕事をしたいっていうのは、生きがいのためだけじゃないのよ。私は自分の手でお金を稼ぎたいと思うの」

夫は、ほんの少し、
私に気取られない程度に緊張する。
それから子どもに言い聞かせるように、
言葉を選びながら私に話す。

「家事も子育ても立派な仕事だよ。お金を得ることだけが仕事じゃないと思うな」
「私はそうは思わない。家事も子育ても必要なことだけど、仕事じゃない。賃金労働じゃないわ」

「お金なら、ぼくが稼いでるじゃないか」
「それは私のお金じゃない。あなたのお金。あなたのものよ」
「そんなふうに考えなくても、いいんじゃないか」
「考える、考えないという問題じゃないでしょう。それは事実なんだから。あなたが賃金労働で得たお金が、どうして私のお金なのよ」

「ぼくは君が家事や子育てをしてくれているから、会社勤めができるんだよ。だからぼくが得たお金は君のお金でもあるんだ」
「ウソ。あなたは私がいなくても生きていける。私がいなくなっても、きっと今までどおりの生活をするわ。だけど、私はこのままでは、あなたがいないと生活できない。それはあなたが得たお金はあなたのものだという証拠よ」

夫は論点をずらす。
「もし、君がお金を稼ぐことになっても、家庭経済を見れば、そうプラスにはならない。君が仕事に出れば、出費もふえる。トータルではそう変わらないんだよ」
「家庭経済の話をしてるんじゃないのよ。どう使うかという話じゃなく、誰がどう稼ぐかという話よ。私も私の手で賃金労働をしたいって言ってるのよ。
私はあなたに経済的に寄生せずに、一緒に生きたいって言ってるのよ」

育児の責任は母親にある?

夫は黙った。
しばらくして、言う。

「でも、シンはまだ小さいからね。それに急にシンの環境を変えるというのは、どうだろう」

低体重児で一人めの子どもを生んだことを、夫も夫の両親も私に責任を負わせたりしていない。
それなのに、私は自分の責任だという気持ちから逃れられなかった。
シンに(心の底では夫や夫の両親にさえも)申し訳ないことをしたように思っていた。

小さく生んでしまったのだから、
しっかり育てなきゃ。
育児の責任は私にあるのだから、と。

ところが公民館に通い始めて私は少しずつ変わっていった。
子どもに対する病的なほど強い責任感は、
子どもの意志さえ無視してしまうような危ないものなのではないか。
母親の強すぎる責任感の枠の中で子どもが育つより、もっといい場所があるのではないかと、私は思うようになった。

しかしそれはまだ確信というものではなかった。
「保育園」という方法もあるし。
それは決してよく言われるような
「かわいそうな子どもの行く場所」ではないと思うとだけ、
そのとき夫に言った。

次回Vol.4は「 ライターって、特別な仕事じゃないんだ」(2022年8月中旬公開予定)
これまでの話はこちらのサイトで読めます↓↓

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